過去におこった地盤災害
阪神・淡路大震災
地震発生の概要
平成7年1月17日(火)5時46分頃、淡路島北部を震源とする『兵庫県南部地震』が発生しました。地震の大きさを表すマグニチュードは7.3と非常に大きく、都市機能が集中する阪神地域の直下で発生した地震(都市直下型地震)であったため、多くの建物、道路、鉄道、港湾、上下水道等のインフラや産業施設を破壊するなど、社会経済基盤に未曾有の被害を与えました。
地震による阪神高速道路(高架橋)の倒壊(写真提供:神戸市)
消防庁調べによる被害状況は、死者6,434名、行方不明者3名、負傷者43,792名、全半壊・全半焼などを含めた家屋被害は639,686棟(平成18年5月19日消防庁による)。被害総額は兵庫県下で約10兆円にのぼりました
■地震の概要(気象庁発表)
発生年月日 | 平成7年1月17日 午前5時46分 |
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震源地 | 淡路島北部(北緯34度36分・東経135度2分) |
震源の深さ | 約16km |
規模 | マグニチュード7.3 |
各地の震度
この地震は、気象庁で観測史上初の「震度7」を記録しました(下図左)。震度7は「木造家屋の倒壊30%以上」と定義されます。
この地震の特徴は、震度7に相当する被災地が東西約20km、幅約1kmの「地震の帯」状に生じていることです。また、遠方の兵庫県豊岡や京都、滋賀県彦根で震度5を記録したのをはじめ、大阪、奈良、和歌山などでも震度4を記録しました。震度1の微震にいたっては北は新潟県、南は鹿児島県にまで広域に及びました(下図右)。
地震の特性
この地震は、内陸型地震と呼ばれるもので、地球表面を覆うプレート内のひずみが、活断層に沿って解放された結果発生したとみられています。近畿地方には多数の活断層が分布しており、代表的なものでは、有馬ー高槻断層帯、六甲・淡路島断層帯、生駒断層帯、山崎断層帯などがあります。今回の地震を引き起こしたのは六甲・淡路断層帯の一部である野島断層で、淡路島北淡町では、この地震によって生じたと思われる断層の露頭が認められました。地表に現れた最大のずれは水平1.9m、垂直1.2m程度です。
神戸市海洋気象台の観測によれば、この地震の最大加速度は南北方向で818gal、東西方向で617galと非常に大きいものでした。ただし、大きな揺れ(主要動)の継続時間は10秒程度と短く、最も強い揺れは最初の3秒程度でした。ちなみに、関東大震災の際の加速度は推定300~400galでしたので、今回の地震はこの2倍程度の揺れといえます。
以下の表に、阪神・淡路大震災と大きな被害となった地震との比較を示します。
阪神・淡路大震災 | 東日本大震災 | 関東大震災 | ||
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発生日時 | H7.1.17 5時46分 | H23.3.11 14時46分 | T12.9.1 11時58分 | |
大きさ | M7.3 | M9.0 | M7.9 | |
最大震度 | 震度7 | 震度7 | 震度6 | |
種類 | 直下型 | 海溝型 | 海溝型 | |
震源・深さ | 兵庫県淡路市16km | 三陸沖24km | 相模湾北西部 | |
津波被害 | 無し | 有り | 有り | |
人的被害 | 死者 (主な死因) |
6,400人余 (圧死・損壊死・その他83%) |
18,100人余 (溺死91%) |
105,300人余 (行方不明者含む) (焼死87%) |
建物被害 | 全壊 | 104,900棟余 | 129,300棟余 | 372,600棟余り (一部破損含む) |
半壊 | 144,200棟余 | 265,000棟余 |
主な構造物の被害
地震による被害は、兵庫県を中心とする阪神地域一円に広がり、とくに震源地に近い淡路島北東部や神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市において甚大でした。
主な構造物の被害としては、道路や河川、ライフライン(電気、ガス、上下水道、通信網)、鉄道、港湾・空港施設の他、土砂災害(崖崩れ、地滑り等)も甚大でした。また、当時は世界でも類を見ない近代的な都市での直下型地震であったため、住宅密集地における家屋倒壊、交通機関の損壊、学校や病院、行政施設などの公共建設物の損壊、ライフライン施設の損壊等、都市機能が壊滅的な被害を受けました。
【被災写真(資料提供:神戸市)】
地下水くみ上げによる地盤沈下
地下水の利用とその弊害
地下水は、年間を通じて温度が一定で豊富であること、及び安価であるなどの特徴から、高度経済成長期以前までは良質な水資源(工業用水、農業用水、上水等)として幅広く利用されてきました。しかし、高度経済成長とともに地下水採取量が増大したため、各地において地下水が大きく低下しました。大阪においてはO.P.-25m~-30m程度まで大きく低下しました。
地下水の低下は、地盤沈下や塩水化といった地下水障害の原因となり、大きな社会問題となりました。また、臨海部での広域的な地盤沈下は、広範囲の海抜0メートル地帯(海水面より低い地盤)を生み出し、伊勢湾台風等による甚大な浸水災害が発生しました。
このため、地下水障害が顕在化した地域を中心に、法律や条例等による採取規制や河川水への水源転換などの地下水保全対策が実施され、近年では大きな地盤沈下は見られなくなりました(図-1参照)。
図-1 地下水揚水による主な地域の地盤沈下量(環境省:H18年度全国区の地盤沈下地域の概況)
図-2 地盤沈下による橋(大阪市北区)の損傷
(環境省:全国地盤環境情報ディレクトリ 平成27年度版より)
大阪(西大阪)の地盤沈下の変遷
西大阪では昭和9年の第1室戸台風によって、臨海部で甚大な浸水被害が発生しました。この災害を機に災害の原因となった地盤沈下問題の究明が行われ、昭和13年に大阪では初めての観測所である天保山、続いて九条観測所が設置されました。
①戦前の沈下激甚期(昭和11年~15年)
この時期は、局所的には戦後の沈下激甚期より沈下が大きかったと想定されます。地盤沈下の研究はその端に付いた段階でしたが、気象庁の和達博士らによって原理的なことが解明されました。
②沈下停止期(昭和19年~23年)
この期間は地盤沈下がほとんど生じない、いわゆる停止期です。軍需に支えられた産業の発展が、戦災および戦後の混乱による産業の機能低下によって地下水利用が激減した結果です。
③沈下漸増期(昭和25年~29年)
産業の復活とともに揚水量が増加し、地盤沈下も増加してきた時期です。なお、昭和25年にジェーン台風による被害が発生し、地盤沈下に対する関心が再び高まった時期でもあります。
④沈下激甚期(昭和32年~36年)
沈下の激甚期で、上町台地西部はもちろん東部においても急速に沈下量が増加した時期です。図-3にこの5年間の沈下等量線図を示します。尼崎に隣接する地域に最大沈下量の区域が発生し、70cm以上を記録しています。くわえて、内陸部における沈下量も大きくなっています。これは、戦前の地下水くみ上げが工業中心であったものが、経済の躍進とともに工業以外のもの、すなわち冷暖房その他に大量の地下水利用が行われるようになったことを示しています。
⑤地下水採取規制期(昭和38年~)
昭和38年以降は「地下水採取規制期」と呼ばれます。地盤沈下を抑制する目的で、昭和31年に「工業揚水法」が、昭和34年に「大阪市地盤沈下防止条例」、昭和37年に「建築物用地下水採取の規制に関する法律」が打ち出されました。
その結果、規制区域の遅れ等により一部差異があるものの、昭和38年頃より地盤沈下が減少しはじめ、現在では地下水くみ上げによる沈下量がかなり収まっています。
図-3 地盤沈下等高線図(昭和32年~36年) (土質工学会:大阪地盤、S52.7、p387)
地下水の回復による障害
上述のように、各種の揚水規制によって現在では地下水は回復をしています(図-4)。
図-4 地下水の推移(大阪府hp:大阪府における地下水利用及び地盤沈下等の状況について)
この結果、最近では逆に地下構造物の建設工事や既存の地下構造物に対して高い地下水位が障害となるケースも出てきました。地下水位が低い時期に建造した地下構造物の中には、水位が現状まで回復することを想定していない場合が多いため、地下構造物が浮いてしまう危険性が高まっています。また、地下水が高いと地震時に発生する「液状化」についても、危険性が高まってしまいます。
したがって、今後は地下水障害を発止させない範囲で、有効かつ適性にコントロールしながら地下水を利用することが重要です。
実際に、冬は温かく夏は冷たい(恒温性)という地下水を貴重な熱エネルギー源として、積雪地域の地域交通の確保のための消雪や、ヒートポンプ等の熱利用機器による冷暖房等にも利用されています。さらに、帯水層の地下水を熱エネルギーの貯蔵に利用する技術開発も進んでいます。また、養魚用水として使われたり、日本酒の製造等にも利用されており、地下水の良質な特性を付加価値としたミネラルウォーター、缶飲料等の飲食品やシャンプー、化粧水等の日用品が開発されたりもしています。
今後もより一層、有効かつ適切に地下水を利用し、豊かな社会生活をおくることが大切です。